子宮頸がん検診で引っかかってからの日々

50代主婦のキッコと申します。2018年3月に受けた子宮頸がん検診でまさかのクラスV。その日からのいろんなことを綴りたいと思います。

無念・・・。しかし次のステップへ。

クラスVだと宣告されたときの気持ちを書くとしたら

「無念」の一言につきました。

 

前にも書きましたが、

平成22年6月に、はじめてクラス3aという結果を告げられたとき、

かなり動揺し、心配しました。

 

だからその日から私は、子宮頸がんのことを調べまくりました。

そしていろいろ調べる中で、

子宮頸がんは検診をしっかりしていれば、

もしも運悪く、細胞が悪いほうに変化していったとしても

ガンになる前に治療できる疾患である。

 

という風に解釈していました。

必ずや、段階を経て発症するものだと。

だからこそ、私が年に一度の検診を怠ってしまったことは間違いないけれど、たった2年4ヶ月でどうこうなるとは思ってなかったのです。

 

だけど言ってみれば、クラス3aの段階で私が調べたときの気持ちは

3aは自分の力で2に戻ることが多い、(実際戻りましたし、3aになったことすらその時1度だけだったので)

そんなに心配しなくていいんだ。

という気持ちで調べていたと思うから(安心材料探すために)

今回みたいに本気で子宮頸がんについて調べていなかったのかもしれないですね。

 

 

そう思うと・・・

 

1年に1度、検診にちゃんと行っておけばよかった。

後悔してもしきれない。

とはいえ、HPV持続感染者でも細胞が癌化していくのはごくごくわずかだと思っていたのは確か。

1年に1度絶対行かなきゃという危機感が薄れてきていたのは

自分の選択、そのときの自分のおもい。

だからそこまではまだわかる。

でもなんで私なんだ・・・。

これまで、散々婦人科のお世話になっていた私が

なんでこんなことにならなきゃいけないんだ。

 

 

 もうね・・・書くときりがないのですが

こんな風な思いで、ほんと、無念としか言いようがなかったんです。

 

 更に、周りの人をみるとみんな幸せに見えて、 

自分の中のドロドロとした気持ちが

自分をふさぎ込ませました。

 

しかし・・・

だからってふさぎ込んだままで動かないの?私。

 

いやいや、動かなきゃいけないのです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

このあたりから前回の続きになるかもしれませんが

 

クリニックの先生が大学病院に紹介状を書いてくれて

その診察日は1週間後でした。

 

私は、その1週間後が長いとか待てないとか

そういう気持ちはもう麻痺していてわからなかったのですが、

そのことを息子に話したら・・

 

私の性格からしてその1週間がどれだけ苦痛か、

病気そのものは1週間でどうなるものでもないだろうけど、

その間、眠れないとかのストレスで体が参ってしまう、

一刻も早く、次の検査をしてもらえないか、

大学病院以外に方法はないのか、

 

いろんなことを考えてくれたようです。

 

息子もあまりにも突然のことで

ひとりの力でこういう発想になったわけではなく、

息子にとって信頼できる2人に頼ったようでした。

 

それはやはり父親・・・そして叔父(私の弟)だったそうです。

 

私は主人とは事情があって、長年一緒に住んでいません。

息子とふたりでずっと暮らしてきました。

息子が大学の4年間は離れて暮らしましたけどね、遠くの大学へ行きましたから。

その息子も去年の12月に入籍し、今はお嫁さんと2人で仲良く暮らしています。

そして今年の11月が結婚式です。

 

実は・・主人も・・

今、大変なときでして・・・。

 

こんな風ないろんな事情はブログには書けないので

わかりにくいこともあると思います。m(__)m

 

私がこんな風になって息子に苦労かけるな・・と思いつつ

息子がひとりじゃなくてよかった、

最愛の人と一緒になり、心の支えが息子にとってあることは

私にとって、安堵の気持ちなのです。

 

お嫁さんには申し訳ないですけどね・・・。

結婚していきなり旦那の母親が病気って・・・。

 

話がだいぶそれてきました。

 

それで、さっきの続きですが

息子は私がクラスVという宣告を受けたクリニックに出向き、

大学病院じゃなくてもいいから

1週間後とか長すぎる、

本人の気持ちを考えると何とかしてあげたい、

明日にでも、先生が薦められる病院や、医師はいないのかと食い下がったようです。

 

(ありがたいですね・・・。)

 

先生はこう言われたそうです。

 

「お気持ちはわかりますが、焦って事を決めても何も得することはないのです。」

 

と。

 

確かにその通りだと思います。

 

それでも息子は

 

主人やわたしの弟とで調べてくれて得た情報により、病院名を出してみたらしいです、

その病院がいいと聞きましたが、と。

 

それは市立の総合病院でした。 

 

それに対し先生は、

 

なるほど、

その病院には婦人科の腫瘍科のいい先生がいらっしゃる・・とのことだったそうです。

 

そしてそちらの病院に紹介状を作り直してもらい、

 明日ってわけにはいかなったけど

3日後に行くことになったのです。

 

息子にその話を聞いたときは

気持ちが少し前に向いていました。

 

1人ではこんなことは出来るはずもありません。

 

人間1人ではやはり生きてはいけないんだと強く思った瞬間でした。

 

 

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